仏師|木村光秀のホームページです。高野山で修行をした僧侶でもあり、祈りと信仰をもとに、仏像を彫り続けています

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東日本大震災から6年ー7回忌に思うー


ー震災物故者慰霊の為、宮城県南三陸町へ。現地の今をリポートしますー

日程

3月9日  名古屋港フェリーターミナル 太平洋フェリー仙台行20時出航 /随行 木村 歌
3月10日  17時仙台港上陸 宮城県大崎市弘法寺様にて宿泊
3月11日  8時弘法寺出発 南三陸町へ 志津川、戸倉、志津川復興住宅等で無念の内に亡くなられた方々へ廻向の誠を捧げて参りました。 /藤井 真澄 木村 光秀 木村 歌
3月12日  弘法寺をあとにし、気仙沼市仙翁寺参拝。 市内視察後帰路に付く 自車走14時間
3月13日  早朝4時無事帰宅。

南無大師遍照金剛 以下写真と共にレポート致します  /撮影 木村 歌

3.11 南三陸町志津川・戸倉 三陸自動車道からR398を経て志津川地区に入りました。

石巻1

石巻2

石巻6


高台にある志津川中学校と消防庁舎跡の間を流れる八幡川の川原です。河口までは約1.5km。
津波はこの川をさかのぼり、引波の後、おびただしい数の御遺体が累々と横たわっていた所です。

藤井真澄師

石巻3

この度、同行させて頂いた藤井真澄師は、震災当初より高野山真言宗の災害ボランティア本部となった弘法寺に滞在し、日々入れかわり立ちかわり訪れるボランティアの人々(ほとんどは僧侶)のお世話をし、自らも被災各地へ赴き、亡くなった方々の廻向をしながら、残された人達と御縁を結び、物資の運搬、傾聴、足湯、流しそうめん等を通し祈りと癒しを届け続けておられます。震災翌年の7月に本部が解散した後も当地に滞まり、毎月11日の月命日は川原や海岸、住宅跡地等々で廻向を続けて下さっています。
「よくぞそこまで・・・・」と言った声がまま聞かれますが、「お坊さんだから拝むのはあたりまえ」とサラッと言える人です。もちろん弘法寺の大坪住職様の力添えも大きいとは存じますが、7回忌に藤井師と一緒に御回向させて頂けて、お坊さんの端くれとしては本当に有難い事でした。

石巻4

石巻7

私達は遠く離れて住んで居るという言い訳をしながら、彼の地の事を意識する事がどんどん少なくなっています。未だに数多くの行方不明者、不自由な暮らしを強いられている人々がいる事を忘れてはなりません。それぞれが出来る事をコツコツと継続していく事しかないと、今更ながら強く思います。
川原では簡便な壇をしつらえ、7回忌本尊の阿閦如来(あしゅくにょらい)に香、華、燈明、茶菓を供養し、引導作法の後理趣経一巻を読誦して、大地に、水に、風に、虚空に満ち溢れる無念の内に散りはてた諸精霊に廻向の誠を捧げさせて頂きました。

ー佛成道  観見法界  草木国土  悉皆成佛

石巻5

河口から約300M程の所に南三陸町防災庁舎がありました。現在その周辺は、土の山がそこかしこに盛り上がり、震災遺構に指定された庁舎がポツリと寂しげに建っています。近付く事は出来ず、車道をはさんだこちら側に設けられた献花台より拝みます。

2017年3月13日 中日新聞社説より 防災無線が示した力

東日本大震災で殉職した遠藤未希さん=当時24歳=を私達は忘れる事はできません。 町内に百五基の屋外スピーカーを設置していた宮城県南三陸町は地震発生の直後から、防災行政無線で注意を呼び掛ける放送を始めました。大津波警報が出ると「六メートルの津波が来ます」「高台に避難してください」・・・。 こうして、役場ごと津波でのみこまれるまで、「大津波が見えています」と伝え続けたのが町の職員だった遠藤さんでした。 海から離れた場所にいた住民には「ここまでは来ない」という意識が強かったといわれます。何人もの住民が「大津波が・・・」という彼女の声で切迫した状況を察し、難を逃れたのです。

石巻9

防災庁舎

石巻8

盛り土

石巻10
石巻11
造成が続く海岸の道を戸倉地区へと移動。民宿・長静荘さんでお茶を頂き、崖下の長清水海岸に於いて先の川原同様に拝みました。今日の海は穏やかに青く澄み渡り、時折り吹く寒風さえなければ・・・・。合掌する手が凍り固まりました。
戸倉の浜
戸倉の浜

石巻12

石巻13


石巻14

美しい海と空

石巻16

高台に建つ志津川中学からの眺望

志津川中は、当初避難所として使われていました。本当にあの盛土には意味があるだろうか。私達はあの時、人間が自然の前でいかに無力で、謙虚であらねばならない事を学んだはずです。大きな大きな犠牲を払って。
盛土を造る為に山を削るという事は、自然が長い時間をかけて作り出した地形に祖先達が寄り添って暮らしてきた歴史を大きく転換する事だと思います。震災以前と同じで良いとは思いませんが私にはこの盛土が不自然極まりないように思えてなりません。まずは自然の高台に、いざという時、、避難所となる総合行政機関を、そこに至る複数の道路整備と共に建設し低い地域には分散して、津波に耐えられる強度の想定波高以上の高さのビル(雑居、商業等)を数棟建てる。移住できる高さの面積には限りがありましょうから、地域の全員が移住できるとは思われません。人間が技術の粋を集め造った防潮堤や盛土の大地はいつか「自然」になるのでしょうか・・・・
自然は人間のこの営みを寛容するでしょうか
志津川中学の柵に震災以前の眺望写真パネルがありました。

石巻17

石巻18

志津川復興住宅のAさんを訪れました

6年前、仮説にお住いのAさんとお会いしてました。Aさんは震災当時仕事で当地にはおらず、テレビで地震を知ったそうです。すぐに奥様に電話をしたのですが、「今片付けているから後で」と切られ「早く逃げろ!」と言えなかった事を今も悔やんでおられます。自宅は跡形もなく奥様とお母さんは今も行方不明だそうです。Aさん宅の御仏壇に手を合わせ自宅跡地で廻向の壇を設けました。
理趣経一巻を読誦し、諸真言を唱え終り程なくすると・・・・

石巻19

志津川復興住宅

石巻20

ただ祈ります

14:46

この時を光明真言を唱えながら・・・・

霊験空しからざる遍照如来に帰命し奉る
大印を有する尊よ、宝珠と蓮華と光明の徳を有する尊よ 転迷開悟せしめ給え
                             合掌
石巻21
流されてしまった住宅跡地

3月12日  気仙沼市

朝9時、藤井師と別れお世話になった弘法寺様を出発、此度の7回忌御回向旅で初めて気仙沼を訪れることができました。仙翁寺は曹洞宗のお寺で実は面識がありません。親交ある岐阜県山岡町の曹洞宗林昌寺御住職 宮地直樹和尚が奉造された「万手観音」様が境内にお祀りされており、かねてより参拝したく思っておりました。 御住職様は御不在でお会いすることができず残念でした。気仙沼市街地を視察しましたが、6年経ってこの状態に愕然とし、この国の有り様を改めて体感しました。 その後、御当地名産のサメ革製品のショップ「気仙沼シャークス」を訪れました。かねてより発注しておりましたオリジナルベルトポーチがちょうど完成したとのお知らせを受けての訪問です。手縫いのオリジナルサメ革ベルトポーチは高コスパの出来で大変満足です。 オーナー社長の熊谷牧子さんとも話が弾み、ますます気仙沼を応援したくなりました。
*シャークス ホームページ アドレス  http://sharksjapan.shopselect.net/
シャークス

石巻26

気仙沼市街地

石巻28

プレハブ商店街


津波の到達ライン
津波の到達ライン

仙翁寺にて

石巻25

石巻24


石巻23

石巻22


此度の東日本大震災物故追悼廻向の旅で改めて感じたことは、国や自治体の復興計画は表面的に見えやすい所をとりあえず整え、そこに生きる人々の生活を親身に見ていないと言うことです。
そして私達はどんなに離れていようとも、彼の地に心を寄せ、自分の出来うる事を継続していくことが大事だということです。                         合掌
                     
                          佛師僧   木村 光秀   九拝


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